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いま、私のダンスは、ニューヨークに住む人々とその文化に影響を受けています。

街角での熱い口論、指を絡ませるカップルの甘いささやきまで、彼らが表現し、意思を通わせるものはすべてこの街の喧噪となります。この街は、誰もが参加できる巨大な実験室です。そこでは、地球の様々なところから集まってきた表現や観点は、ひとつとして同じものはなく、相容れないのが当然なのです。私の知る、細やかで思慮深いアジアのバックグラウンドと対照的に、終わりのない、決して止めることの出来ないノイズは、私のダンスづくりへの意欲を駆り立て、個人の持つ文化とは何か、個性とは何かということを考えさせるのです。その結果、私は型にとらわれないダンスづくりを強く望み、現在ではユーモアや色、ロック音楽や現代美術インスタレーション、最先端のファッションに刺激を受けています。

 

私の制作過程の特徴は、ダンスはまるでゴムのようだと考え、アプローチするところにあります。ダンサーをじっくりと観察することによって、あるいは彼らの個性や彼ら自身の経験から出てくるリアリティによって、作品が影響を受ける事を喜んで許容し、自分のコンセプトがどこまで伸びてゆくのかを試すのです。

あらゆることは、表現されてよいのです。探求されてよいのです。

ダンスという可能性がさまざまに伸び縮みする中で生まれてくる、ひとつの会話、さらに豊かで深みのある人間性のかたちとして作品はつくられてゆきます。

 

私にとってのダンスは大げさなものではありません。

それが享楽的なもの、悲しかったり、かすかなもの、情熱的、スピードのあるもの、ゆっくりだったり、言葉に言い表しにくいもの、どんな形であれ、ダンスは自由であってほしい。そして、本物で、誠実で、共感できて、楽しいものであってほしいと思っています。

私は自分自身のアイデンティティとはなにかを問いながら、自分以外の誰かとつながるためにダンスを作ります。私たちひとりひとりはこんなにも違うのだという驚きと興奮のなかで、日々ニューヨークで繰り返される、止めることの出来ない無数の会話の一つとして、私のダンスは生まれます。

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